コラム

ベンチャー経営者奮闘伝

第04回 「カトープレジャーグループ」 加藤友康社長

今回登場するのはカトープレジャーグループの加藤友康社長。総合レジャーの開発を基幹コンセプトとした総合プロデュース企業である同社は、これまでにレジャーホテル・フードサービス・ウェルネス・ブライダル・リゾートなど多岐にわたる事業をプロデュースしてきた。同社を率いる加藤社長は昭和40年生まれの35歳。形の上では2代目経営者ということになるが、実質的には全くの創業者。強烈なカリスマ性で君臨していた父親の跡を継ぎ、見事なまでの組織化を進めた加藤社長の手腕とは。

「プロデュース業ほど怖いものはありません」 こう語る加藤友康社長が初めてプロデュースを行ったのが24歳の時。大阪市内の日航ホテルの地下にあったディスコのプロデュースを頼まれたのだ。時はまさにバブル経済の真っ只中。そこで出会ったのは『空間プロデューサー』『イベントプロデューサー』などの肩書きを持つ人たちだった。幼い頃から創業経営者であった父親に、小遣いすらも『お手伝い』という労働の対価としてでなければ貰えない、と金の尊さを叩き込まれた加藤社長にとっては信じられない光景をそこで目にする。それは、己の『センス』は『トレンド』に乗っている、とばかりにふんだんに金を使う『プロデューサー』達の姿だった。加藤社長のプロデュースが決してケチなのではない。むしろ金をかけるところは十分すぎるほど金をかけているといえる。しかし、その金はあくまで他人様のお金。使うからには十分に納得してもらえるだけの根拠と理由が必要になる、というのが加藤社長の考え方だ。 前述の『プロデューサー』氏とは根本にあるものが決定的に違う。このとき、加藤社長は金のありがたみを知らない人間には、他人の金で商売はできない、ということを改めて感じたという。自らを律し、真摯に取り組まなければ、ということに気付かされたのだという。 現在、同社の行うプロデュースは相手に提示した数字を挙げられなかった時には、不足分を自ら支払う、という形で補償をしている。これは日本のプロデュース企業としては異例のことだ。

日本においてプロデュース業やコンサルタント業がどこか胡散臭さが抜けない原因の一つはここにあるのではないだろうか。「成功すれば自分の手柄、失敗しても知らん振り」こんな体質のプロデュース企業やコンサルタント企業が少なくない中で、同社の「やるからには責任は持つ」という姿勢は信頼を集め、業績を伸ばしてきた一因といえそうだ。 加藤社長にとって人間として常に意識しているのは父親の加藤精一氏。精一氏は昭和の戦後に徒手空拳で洋服店、ラブホテル、飲食店、芸能興行、レコード会社、レジャー産業、ビデオ会社と次から次へと新規事業を起こしていった正に「起業家」。おおらかな人柄と気風の良さと行動力でジャンルを問わず多くの人に愛された「浪花の名物男」。芸能界の大御所的存在の北島三郎氏が今でも「お世話になった人」としていの一番に名前を挙げるほか、昭和36年に労働者や失業者を中心とした2000人もの暴徒が起こした「西成騒動」の際にも多くの資産家の家が焼き討ちにあうなどの被害を受ける中、精一氏の自宅だけは「あれは加藤精一の屋敷や、誰も手を出すな」と無事であったなどその人柄が愛されていたことを示すエピソードには事欠かない。

加藤社長はそんな父親から人間としてのスピリットを受け継いでいるようだ。「経営者としてはあまりに大胆だった気がします。人生意気に感ず、という義理・人情の部分で会社を作ってしまうところもあるので計画的な経営とはほど遠かったのではないでしょうか。しかし、人間として一番大事なことを全て教えてくれたような気がします。絶対に嘘のない仕事をする、というのもその一つです」 実際に加藤社長が20歳で父親から経営を受け継いだ時には、その数字に愕然としたという。 数字の上だけで見ればいつ倒産してもおかしくないような状態だったようだ。加藤社長の経営者としてのスタートは「まず、金が欲しかった」というところから始まっている。 「如何にして業者さんへの支払いを滞りなくするか、従業員に給与を支払っていくか、とやはり現実の問題としての金が必要でした。そこを乗り越えて初めて、プラスに向いた経営に入っていった気がします」

年商100億円が見えてきた現在までに加藤社長のビジョンは日々成長している。「20代の頃にある人にあなたはどこまでのビジネスをやるつもりですか?と聞かれたことがありました。その時は年商で3億円くらいだったので30億円のビジネスができるようになりたい、と答えました。しかし、この数字は幸いにも20代の内に達成できました。これを達成した時にじゃ次は、と考えたのですがその時には100億円、と漠然と目標を立ててみました。もちろん、年商100億円、という数字がどれだけのものなのか、ということの現実感はありませんでした。しかし、この数字も現実のものになってきた中で、では21世紀は何をしよう、と考えました。当然数字としての目標も必要ですが、それ以上に新しい仕組み作り、という部分にこだわってみたいと思っています。これまでにも、当社が手がけたビジネスはそれぞれの分野で既成の枠にとらわれずに、それが新しい感覚として受け入れられ、評価を頂いてきましたがこの功労者はいうまでもなくスタッフ全員です。それこそ寝食を忘れて仕事に取り組んでくれた結果が現在の会社ですから、次は個人個人を伸ばして外へ出してあげることで、会社としての広がりも持たせていきたい、と考えています」

バックナンバーはこちらから

ページの先頭へ戻る


Copyright© Sugou Arata All Rights Reserved.